院長プロフィール

草津アアルト整体院・カウンセリング風景

はじめまして、草津アアルト整体院・院長の村岸と申します。
数あるサイトから当院のホームページをご覧くださり、誠にありがとうございます。

「人に喜ばれる仕事がしたい!」

その思いだけで前職を辞して、治療家の道に飛び込みました。

人生は本来、楽しくて幸せなものです。
今は辛い症状で悩んでいても、これから新たな人生を踏み出してほしい。
当院の治療が、あなたの再出発を全力でサポートいたします。

患者さまの素敵な「笑顔」が、私の何よりの幸せです。

皆さまに愛される治療院を目指して、生涯をかけて努力いたします。

略歴

草津アアルト整体院・院長

・1975年生まれ
・大津市出身、草津市在住
・同志社大学卒業
・国家公務員として10年勤務
・2010年、独立開院

社会人9年目の時、自身の様々な症状(アトピー、花粉症、ドライアイ、めまい、立ちくらみ、背中痛など)が、整体によって改善したことに衝撃を受ける。

「こんなすごい治療を修得できるなら、今の仕事を辞めても構わない!」と決意し、公務員を退職して、整体の世界に飛び込む。大阪府堺市の整体の師匠に師事すること2年半、2010年に地元の滋賀に戻り、整体院を開院。

開院後も、西洋医学、東洋医学を問わず、様々な技術や療法を幅広く学び、独自の理論と検査法、治療法を確立する。現在、開院14周年を迎え、痛みのない効果的な施術を追求しながら、地域の人々に貢献することに力を注いでいる。

資格

スマートリンクセラピー認定 整体セラピスト
加圧ジャパン株式会社認定 加圧トレーニング・インストラクター

【その他】
社会保険労務士
図書館司書免許

治療で心がけていること

草津アアルト整体院・施術風景

治療で心掛けていることが2つあります。

一つは、患者様にとって居心地の良い場所を提供することです。
そのために、院内を常に清潔に保ち、患者さまに「ここに来てよかった」思って頂けるよう、誠実な対応を心掛けています。

もう一つは、患者様としっかりお話をして、一緒に改善に向けて頑張っていくことです。
患者さま自身が持つ自然治癒力を引き出し、お悩みの症状が完治されるよう、心を込めて治療をさせていただきます。

一番うれしいこと

患者さまが半ばあきらめかけていたお悩みの症状が改善し、共に喜びを分かち合えた時です。

患者さまの笑顔を見ると、治療家の道に進んで本当に良かったと思います。

私自身も、いつも患者さまからパワーを頂いています。

詳しい経歴

生年月日・血液型

1975年(昭和50年)11月12日生まれ・さそり座。
血液型はA型です。

好きな言葉

ありがとう
千里の道も一歩から

趣味

・家族と滋賀のあちこち探訪、カフェ巡りなど。

・読書(医学・治療関係の本ばかり読んでます。マンガも好きです)

・アルトサックス(初心者ですが、頑張って練習しています)

・動物は、猫や小鳥が好きです。

・沖縄の碧い海が好きです。

家族

妻と娘(令和元年生まれ)の三人暮らし。草津市内に住んでいます。

私の実家は、大津市のJR小野駅近く、びわ湖ローズタウンにあります。
今は母と姉が二人で住んでいます。

出生地

京都大学附属病院で生まれました。
非常に難産でしたが、なんとか無事に生まれました。

京都市左京区の一乗寺に、2歳まで住んでいました。
上の写真は、その頃の一コマ。一緒に写っているのは、私の姉です。

私のおじいさんは滋賀県の甲良町出身で、商売のために京都に出て来たそうです。

八幡東小学校・真野小学校

石清水八幡宮で有名な、京都府八幡市に引っ越し。
通っていた八幡東小学校は廃校になってしまったそうで、ちょっとさみしいです。
でも、小学4年生まで過ごした八幡市は、心の故郷です。

その後、大津市に引っ越しして、小学5年生から真野小学校に通いました。
はじめての登校の時、友達が牛がいる小屋に連れて行ってくれたのが衝撃でした。
通学路に牛が!?と思ったのですが、あれは友達が僕に見せようと案内してくれたと後でわかりました。

小学生の時の愛読書は、手塚治虫先生の医学ドラマ「ブラックジャック」。
当時、セリフを全部覚えるくらい、繰り返し読んでいました。

真野中学校

実は私は、真野中学校が開校して初めての一年生でした。
当時のびわ湖ローズタウンは、どんどん新しい家が建っていて子供の数も増加。
私は2年連続で、ピカピカの新築校舎で授業を受けました。

中学時代はバドミントン部に所属。
メチャクチャ強いチームで、当時滋賀県で最強でした。
ただ、私は補欠で、毎日よく走っていました。
チームメイトたちとは、今も仲良しです。

そう言えば、生徒会長をやっておりました(^_^;)

比叡山高校

1991年、比叡山高校に入学。
入試の日に、思いっきり雪で滑りましたが、何とか合格しました。

受験生にも関わらず、友達たちと平和堂やびわ湖タワー(懐かしい)でよく遊んでいました。
牧歌的な高校生活。

同志社大学

1994年、同志社大学に入学。
とにかく自由な大学で、私の専攻は、卒業論文のテーマまで何でもOKでした。

図書館司書の資格を取得しました。
瀬田の滋賀県立図書館での実習、とても楽しかったです。

地元・堅田の吉野家さんやTSUTAYAさんなどでアルバイトをしていました。

上の写真は、友達と北海道に行ったときの一コマ。
車中泊をしながら、行き当たりばったりの旅。楽しかったです。

国家公務員

大学を卒業後、とある省庁に国家公務員として就職。
どこの省庁かは、お会いした際にどうぞお尋ねください(^^)

大津市、草津市にて勤務。
広範囲に渡り、出張に出ていました。

草津で勤務している間に、仕事の役に立つかなと思い、社会保険労務士の資格を取得しました。

父の病気

私が草津で勤務している時、父が胃ガンのため入院しました。
手術を受けて一度は退院したものの、その半年後に永眠しました。

ガンになっても普段と何も変わらない父で、最後まで静かに過ごして、息を引き取りました。
もっと親孝行すれば良かったと、後悔しました。

父の入院をきっかけに、私の「人を治す仕事」への思いが強まっていきました。

大阪へ転勤

当時、私が勤めた省庁では珍しく(滋賀県初)、県外への転勤辞令を受けました。
大阪の吹田市で勤務し、この時初めて一人暮らしを経験。

滋賀でも大阪でも、本当に素敵な同僚、上司に恵まれ、楽しく仕事をさせて頂きました。

前職の皆様への感謝

「人の役に立てて、喜ばれることを一生の仕事にしたい」との思いが強まり、2008年3月、治療家の道に進むために退職しました。

▶「開院した理由」へ

滋賀でも大阪でも、職場の皆さんには本当に助けて頂きました。
有難いことに、今も宴会や遊びに誘って頂いています。
心から嬉しく思います。

前職の思い出

職場旅行で神戸に行ったとき、ホテルオークラでサンタの格好をして、皆でパラパラを踊ったことは、忘れられません。

あと、退職前の最後の勤務査定が最高ランクだったことは、とても光栄で嬉しかったです。
同僚の皆さんに助けて頂いたお蔭です。

結婚

私「治療家になるため、仕事を辞めようと思っている」
妻「じゃあ、その前に結婚しようか」

公務員を辞めて、なんだかよくわからない(笑)整体の仕事をしようとしている男と、よく結婚してくれたと思います。

2008年1月13日、私たちは結婚しました。

独立開院

2年半の修行時代を経て、2010年9月8日、仕事でも思い出深い草津市にて独立開院しました。

▶【開院した理由】